2012年02月01日

僕が生まれた場所

父親の会社、会社と言っても田舎町の小さな小さな縫製工場。


僕が住んでいる東近江市の隣町、愛知川町。
この町はお布団カバーのメーカーや問屋さんがたくさんありました。


30数年前・・。


右肩上がりの景気の中、作れば売れる時代。
今住んでいるところから峠をひとつ越すような山奥で僕たち家族は暮らしていました。


納屋を改装し、ミシンを置き、近所の女性を数名集めて父親は縫製所を作りました。
父親が生地を裁断し、母親もミシンを踏みました。

来る日も来る日も布団カバーを縫いました。

僕の記憶の中には、自宅にいる父と母はありません。
いつも工場で夜なべをしている父と母の姿・・。


けして裕福ではなかったですが楽しく幸せな毎日でした。
産業が育つ時代は「ものづくり」さえしていればよかったのです。

父と母は、両親のめんどうを見ながら、
そして、二人の子どもをちゃんと大人に育てたのですから・・。

僕がちゃんと育ったかは別として・・。


昭和47年9月16日僕の村を台風が襲います。


当時の若い村人たちは思います。
「ここで暮らしていいんだろうか?」


度重なる協議の結果集団移住をすることになります。
その動きの中心にいたのが僕の父親でした。


家族のため、地域のため頑張る人でした。
今こうして文字にするとあらためて親父には敵わないって思います。


昭和50年5月。
僕たちが暮らした家も村もなくなりました。


現在の土地に約60世帯が集団移住しました。
そして、今、僕はこの町で暮らしています。


小さい時、僕たちが暮らした場所には大きなケヤキがあります。
おばあちゃんが植えたケヤキです。


寂しくなった時やつらい時、ここに行きます。
去年の五月に家族でいったときの写真です。

僕が生まれた場所

ここが僕が生まれた場所。
ここが僕が育った場所。


大事に大事にしたい場所。



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