ものづくりは段取り八分。
バブル。
父も母も堅実でした。
株や不動産には投資しませんでした。
と、いうよりそこに回すだけのお金がなかったのだと思います。
でも少しは儲かっていたんだと思います。
仕事をもらっていた会社の社長からこう言われます。
「村山さん、会社にしたら何でも経費で落ちるから得だよ。」
そして、できたのが有限会社村山縫製。
1990年1月です。
その日から父は「縫製屋の大将」から「社長」になったわけです。
国産ですが高級車にも乗るようになりました。
会社にした翌年、バブルが弾けました。
経営はみるみる悪化したようです。
仕事がない。
加工賃を安くしないと仕事が取れない。
社員さんのため仕事を確保しなければ・・。
悪循環はこのあとも続きます。
こういう時期が続く中、息子が継げばなんとかなるかもしれない・・。
そう思ったかどうかは今となってはわかりませんが、
1996年、30歳の時、僕は正式に会社に入りました。
中途半端な人生にケリを付け、この世界でやっていこうと決意したのです。
最初にやったことは生地の裁断です。
毎日、3000メートルの生地を布団カバーのサイズに切りました。
工場内と外注先に仕事を分配します。
配達も僕の仕事でした。
僕は2年間、生産管理を任されました。
この時覚えたコトが、「段取り八分」という言葉です。
効率を一番に考えなさい。ということです。
ひとつの仕事をいかに速く効率よくこなすか。
この点だけを考える様になっていきました。
2012年、46歳の僕はこの時の僕に贈りたいアドバイスがあります。
そのやり方はだめだよ。
15年後まさか、30歳の僕は、ものづくりを辞めるとは夢にも思っていなかったのでした。
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