ものづくりは段取り八分。

シャア

2012年02月02日 01:01

バブル。


父も母も堅実でした。
株や不動産には投資しませんでした。


と、いうよりそこに回すだけのお金がなかったのだと思います。
でも少しは儲かっていたんだと思います。


仕事をもらっていた会社の社長からこう言われます。
「村山さん、会社にしたら何でも経費で落ちるから得だよ。」



そして、できたのが有限会社村山縫製。

1990年1月です。

その日から父は「縫製屋の大将」から「社長」になったわけです。
国産ですが高級車にも乗るようになりました。


会社にした翌年、バブルが弾けました。
経営はみるみる悪化したようです。


仕事がない。


加工賃を安くしないと仕事が取れない。



社員さんのため仕事を確保しなければ・・。





悪循環はこのあとも続きます。





こういう時期が続く中、息子が継げばなんとかなるかもしれない・・。
そう思ったかどうかは今となってはわかりませんが、
1996年、30歳の時、僕は正式に会社に入りました。



中途半端な人生にケリを付け、この世界でやっていこうと決意したのです。





最初にやったことは生地の裁断です。

毎日、3000メートルの生地を布団カバーのサイズに切りました。



工場内と外注先に仕事を分配します。

配達も僕の仕事でした。





僕は2年間、生産管理を任されました。




この時覚えたコトが、「段取り八分」という言葉です。
効率を一番に考えなさい。ということです。




ひとつの仕事をいかに速く効率よくこなすか。



この点だけを考える様になっていきました。





2012年、46歳の僕はこの時の僕に贈りたいアドバイスがあります。




そのやり方はだめだよ。


15年後まさか、30歳の僕は、ものづくりを辞めるとは夢にも思っていなかったのでした。


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